アカデミック・ インテグリティの定義について共通認識をもつことは、世界中の脱工業化するアイデア市場において、生涯学習を推進するうえで重要です。 かつて学校は、産業界で働く学生を育てるために、手順やヒエラルキーを理解させる場でした。しかし現代の教育の目的は異なります。 学術機関は卒業生が高次の思考力を身につけることを期待し、雇用主は独創的で革新的なアイデアを発信できる従業員を求めています。アカデミック・ インテグリティの用語を、学習成果や世界的な公正と結びつけるのは飛躍があるように思えるかもしれませんが、 本稿では用語と公平性の関わりを検討していきます。
「アカデミック・インテグリティ」という用語ついてまず初めに、アカデミック・インテグリティは指導と学びに重要なものです。アカデミック・インテグリティは、 教員と学生の間のフィードバックループが正確なデータに基づいていることを保証します。学びに対する敬意を高め、 誠実な行為を心がける姿勢を支えます。
用語を統一し(ENAIによるアカデミック・インテグリティの用語集のように)、そのような 進化し続ける語彙の教育的な背景を理解することも、望ましい結果を得るために必要です。
「アカデミック・インテグリティ」という用語は、研究者のドナルド・マケイブ博士が1990年代初めに広めた言葉で、ICAIでは、正直、信頼、公正、敬意、責任、勇気を示すものであると説明されています。しかし、 これらの価値観は文化的な背景に依存するもので、アカデミック・ インテグリティが欧米で定義されたものであるという事実を認識する必要があります。学習方法として丸暗記を重視する文化圏では、模倣 (学習内容を、その出典を示さずに繰り返すこと)は敬意を示す一形態であることも考えられます。
文化的背景の微妙な違いが用語に影響を与えます。たとえば、欧米では「アカデミック・インテグリティ」 が頻繁に使われる用語であるのに対し、模倣と敬意が一体となる多くの地域では、アカデミック・インテグリティという言葉が一般的ではないため、 盗用・剽窃の定義が曖昧になります。研究によると、たとえば「ラトビアの学術用語データベースAkadTermには『アカデミック・ インテグリティ』『学術的な正直さ』『学術不正』という言葉は含まれていない」ようです(Tauginiené, et al. 2019)。
2016年のウィーラーの研究では、「日本の教育制度のなかで『道徳』が長く教えられてきたが、アカデミック・ インテグリティは最近になって注目されるようになった概念で、完全に理解されているとは言いがたい」と指摘されています(Wheeler, 2016)。
このことは、ターンイットインが2021年に行った山本敏幸教授へのインタビューでも指摘されています。山本教授はインタビューのなかで 「哲学的な観点から言うと、アカデミック・インテグリティとは、私たちが学びを深めたり研究したりするうえでの誠実さ、自分に正直であること、 未来社会に対していかに貢献していくか、科学的に真実を求めていく姿勢で、そこに倫理と道徳が生まれる、ということだと思います……しかし、 日本の教育は(学習内容の)暗記や反芻、理解に重点をおいています」と述べています(Yamamoto, 2021)。
また、教育学的な背景を理解することも、アカデミック・インテグリティの推進につながります。アカデミック・ インテグリティとその指導法についての研究が広まるにつれ、進化する考え方やアプローチに対応するための用語も増えています。 教育学的な潮流のひとつは、このような行動がなぜ、どのように起こるのかをもっと全体的に理解し、「生徒を責める」のをやめようとする試みです。 「カンニング(cheating)」という言葉は、学術不正の同義語として広く使用されていますが、 教育学においては時代遅れの表現になりつつあります。というのも、不正行為に対する「非難」や「取り締まり」の文化から脱却し、 より中立的な用語への転換が始まっているからです。アカデミック・インテグリティ違反は、学術不正(academic misconduct)や 学術的な不誠実さ(academic dishonesty)と呼ばれ、 アルマンドの表現では「あらゆる種類の不当な利益」とされています(2012)。 これらの言葉が「カンニング」という古い言葉に取って代わるようになったのです。
教育学における最大の変化のひとつは、教員と学生の協働を重視するようになったことです。「見守られ、支えられている」 という感覚を学生に与えることは、敵対する相手を責めるヒエラルキーの文化とは真逆のものです。「見守られ、支えられている」という感覚を学生にもたせると、学習成果の向上にもつながります。
「カンニング(cheating)」という言葉は、たとえば、「私たち vs彼ら」という言葉遣いに通じます。 ザチェクの研究では、「このような考え方は、Helgeson (2002)の研究に参加した生徒の回答に表れている。その生徒は、 教員がどのようにカンニングに対処しているかについて、『“生徒 vs 先生”みたいな感じで、生徒側は互いに助け合っている』と述べている」 ことが示されています(Zachek 2020, p. 110)。
それに対して、「安易な解決策(Shortcut solution) 」という表現を使うと、 学生が感じるプレッシャーや苦しみへ理解を示すものになります。たとえば、論文代行や盗用・剽窃、試験前の答案の入手などの学術不正 (academic misconduct)を、カンニングよりも穏やかな表現を使うと「安易な解決策」と言えます。研究の世界では、 ゴーストライティングや著者の排除、インパクトファクターを引き上げるための自己引用が安易な方法による不正行為含まれます。
学生がなぜ、どのように不正をするのかを理解することが、アカデミック・インテグリティをめぐる議論の一部となってきました。その結果、 教員の不正行為への態度を反映して、より中立的な用語が使われるようになりました。現在の理解では、人は時として、意図せずに不正行為や盗用・ 剽窃、その他の間違いを犯すこともある、というものとなっています。そして最終的には、盗用・剽窃は指導の機会にもなり得るとの見方も生まれています。
世界共通の定義がないことの影響アカデミック・インテグリティは教育の公正とつながっています。アカデミック・インテグリティの重要性を示す例として、 次のことが挙げられます。
- 学生に学習の次のステップを教えるだけでなく、カリキュラムを改善するためにも学生の学びを正確に測定する(つまり、 確実に学生自身の手による解答を評価する)必要がある。
- 研究は累積的、対話的なプロセスであるので、欺瞞を排除し、イノベーションを促進するために誠実な研究を保証しなければならない。
- 学習プロセスに対する敬意が、生涯学習に必要不可欠である。
教育が機会につながり、学生が卒業後にアイデア市場で活躍することを目標とする現代社会において、 独自の思考力は学生にとっても教育機関にとっても、成功に欠かせないものです。アカデミック・インテグリティは、 将来の職場での成功と正直さの指標になると同時に、一生涯学び続けることへの出発点であることが証明されています。だからこそ、アカデミック・ インテグリティの用語を、現在の教育学の流れに沿って、完全に懲罰的なものにならないようにすることが重要です。 教育はすべての機を捉えて行われるべきもので、不正行為でさえ学びの機会となるのです。
アカデミック・インテグリティの定義が統一されないと、世界規模の不公正につながる定義が統一されていないと、留学生や、異なる定義をもつ文化圏の学生が苦境に立たされます。
ザチェクの研究では次のように示されています。「不正行為をする人の人口統計を分析したBeasley (2016)では、 主な懸念のひとつとして、組織的な人種差別により、人種的にマイノリティの学生が通報される可能性が高い点が挙げられている。Beasley (2009)では、『学部の留学生は国内の学生よりも不正行為で通報される可能性がずっと高かった』 と報告されている」(Zachek 2020, p. 113)。
日本に焦点を当てた研究では、こうした定義の違いや文化的な背景が不正行為への姿勢や発生に影響を与えていることが指摘されています。 「言葉はつねに文化に根ざしたものであり、別の言語に完璧に翻訳するのは不可能なことも多い。さらに、異文化研究では、 比較を行うときに対象者の生活様式や社会、文化が異なることを考慮しなければ、一貫性のある結果を得られないこともある。したがって、 ひとつの文化的環境のなかで意識調査を行うほうがより有益だろう(Teeter, 2014, p. 104)。
西アジアも例外ではなく、トルコに焦点を当てた研究も文化の違いを反映しています。「文化の差異に話題を戻すと、アカデミック・ インテグリティは地域共同体の価値観と関連しているのかもしれない。それを示す例として、トルコの事例が挙げられる。トルコは最近では 『アカデミック・インテグリティ』を、特に倫理的な問題への認識を喚起する場合、『価値観の教育』という総称のもとで行うことが珍しくない (e.g. Cihan 2014)」(Tauginiené, et al., 2019)。
アカデミック・インテグリティは学問的成功に必要不可欠なものです。そして、定義を統一することが、学問的な成功への機会均等を実現し、 世界中の教育機関の信用を保持するために非常に重要なのです。
アカデミック・インテグリティと不正行為を、学びを中心にして捉え直す『Journal of Academic Ethics(学術倫理ジャーナル)』に掲載された論文では、 「理解を一致させ用語を定めることにより、価値観の共有が期待できる。また、学術不正に対する指導法や教育内容、防止策に関して、 国際的に受け入れられる共通の解決策の開発にもつながる可能性がある。このような基本的な概念について合意を得ることで、 今度は研究分野を超えた連携につながるだろう。しかし、これを実現するには、重要な用語の概念化や使用における差異について議論し、 合意を得ていく必要がある」と示されています(Tauginiené, et al. 2019)。
文化的な規範や差異を考慮したうえで、用語が広く受け入れられるようにすることで、共通理解が進んで学習成果が向上し、 留学生や他国の研究者も同様に世界標準をより容易に保持できるようになるでしょう。「アカデミック・インテグリティ」 は生涯学習の出発点であるので、それが何を意味し、どのようなものなのかを正確に理解し、解釈の余地を小さくすることが大切です。
同様に、「学術不正」という用語を使うことで懲罰的な印象を弱めることができます。「カンニング」から「学術不正」 へ言葉を転換することで、学術不正を単に懲罰的なものとして捉えるのではなく、さらなる学びと更生の機会に変えていくことが大切です。
以上を実現することが人類の進歩につながります。グローバルな脱工業化社会に暮らす私たちにとって、独自のアイデアと、 アイデアの帰属に対する敬意は欠かせないものです。アイデアを共有する際は、必要に応じてその帰属を確実に示す必要があります。 私たちはひとつの共同体として、アカデミック・インテグリティへの安心と信頼のもとで、共に前に進むことができるでしょう。